昭和10年(1935年)
大大阪時代(1925年〜1930年代半ば)は、大阪が人口・産業で東京をしのぎ、日本一の大都市として繁栄した時代です。
水都らしい運河のまちにコンクリート造のモダン建築が並び、商業・文化・芸術の面でも国際都市として発展しました。
しかし戦災と高度経済成長期の再開発で当時の景観はほとんど失われました。そこで関西大学なにわ大阪研究センターでは、2010年から古写真や資料をもとにCGで都市景観を復元する研究を進めています。
現在はネオンサインやキャバレー、ダンスホールが輝いた大大阪時代の道頓堀を、メタバースや360°VRで体験できる新たなコンテンツ制作に取り組んでいます。
当時の区画や建物配置を示す地籍資料の抜粋です。
日本初の鉄筋コンクリートの劇場。「松竹キネマ座」として設計され、当時は映画の上映が主であった。
堅牢な構造と華やかな外観は芝居町の新しいランドマークとなり、川沿いの景観を一変させた。
劇場前には看板やポスターが林立し、上映入替のたびに道頓堀は賑わいを増した。
1925年、鉄橋から石橋に掛け替えられた。
欄干や親柱が整えられ、橋上は人の流れと記念写真の名所に。
橋詰には劇場・商店の看板が迫り出し、川面にネオンが映える夜景を形づくった。
旧広告商事ビル。現在はかに道楽本店。道頓堀川沿いに建てられた広告塔付きの商業ビルで、鉄筋コンクリート造。
高層の壁面に巨大な看板やネオンサインが掲げられ、夜は川面を彩る光のショーとなった。
劇場群と並び立ち、商業と娯楽を融合させた新時代のランドマークとなった。
キャバレー・ヅ・パノンを前身とする大型キャバレー。豪奢なシャンデリアや鏡張りの内装を備えた。
連夜ジャズバンドの演奏とレビューが行われ、モダンな服装の男女でにぎわった。
華やかな灯りは、芝居町から歓楽街へ変わる道頓堀を象徴した。
地下1階・地上2階。塔上に回転風車付きネオン塔を有する大型キャバレー。
ダンスホールと生演奏で人気を博し、通りに面したショーウィンドーと大看板が来客を誘った。
回転風車のネオンは道頓堀の夜の象徴のひとつとして記憶されている。
グリコランナーが登場した初代のネオン式看板。
ランナーが両腕を上げてゴールする姿は健康と活力のイメージとして定着。
川沿いからも遠目からも視認でき、見物客が足を止める“光のランドマーク”となった。
1階では丸万食品店が営業。道頓堀・戎橋筋の象徴的存在。昭和11年に三笠屋百貨店がオープン。
角地に建ち、通りに開いたショーウィンドーと多彩な売場構成で賑わいを創出。
日用品から菓子・食品まで取り扱い、戎橋筋の買い回り動線の要となった。
「赤玉」と並ぶ大規模キャバレー。和洋折衷の華やかな内装と大舞台を備えていた。
美人揃いのホステスやダンサーによるレビューや歌劇が人気を博した。芝居小屋に代わり夜の道頓堀を彩り、キャバレー文化の先駆けとなった。
なお、美人座の画像は現在まで発見されていない。
戎橋北詰に開店した近代的なカフェー。南米直輸入のコーヒーや洋風軽食を提供した。
木製のテーブルと椅子を並べた店内は、学生や文士、芸人たちの社交場となった。
喫茶と交流の場として芝居町に新しい文化をもたらし、後のカフェー文化隆盛の先駆けとなった。